本家尾張屋&写真家・稲岡亜里子 海外で撮る写真家視点を生かし、京都の老舗そば屋を受け継ぐ|「colocal コロカル」ローカルを学ぶ・暮らす・旅する
本家尾張屋&写真家・稲岡亜里子 海外で撮る写真家視点を生かし、 京都の老舗そば屋を受け継ぐ
ローカルシフト vol.015
アイスランドの水と京都の水
1465年(応仁の乱の前年)創業、京都にある老舗そば・菓子店〈本家尾張屋〉の
16代目当主は、稲岡亜里子さんだ。
アイスランドで撮影した『SOL』(2008年)、
『EAGLE AND RAVEN』(2020年)という
写真集を発売している写真家でもある。
歴史を感じさせる本家尾張屋。
稲岡さんは、本家尾張屋の長女として生まれ育った。
かつては金閣寺の近くに住んでいたという。
「子供の頃の自宅は洋風の家で、家の中でも土足で生活していました。
でもお店にくると"ザ・ニッポン"だし、遊びに行くのもお寺とか」
小学校高学年から高校2年生まで過ごした稲岡さんの実家の部屋。今では暗室も設置している。
当時はまだ家業の意味は認識していなかった。
むしろ子どもの頃から京都、そして日本という狭い世界から
飛び出したいと思っていたという。
「母が60年代にフランスに住んでいたことがあって、
よくフランス人の友だちが遊びにきていました。
その人たちは、日本人よりも表現豊かでハグとかもしてきて、
"私はこの人たちの感覚が好きだ"と思っていましたね。
みんながアイドルを追いかける頃、私はマドンナが好きだったり。
とにかく早く海外に行きたかった」
京都とはいえ、当時はまだ移住者も少なく、観光客も今ほどではない。
小さな社会でどこへ行っても"尾張屋さん"と呼ばれて、
自分のことを知られている環境。
「誰も自分のことを知らない土地に行きたい」という気持ちを抱くのもわかる。
こうして高校からアメリカへ留学し、
ニューヨークの〈パーソンズ美術大学〉で写真を学ぶ。
卒業後も6年間はニューヨークを中心に、日本と行き来しながら写真家として活動。
帰国後もしばらくは、東京で写真家として活動していた。
手にしているのが写真集『SOL』(赤々舎)。
日本や京都に徐々に思いを馳せるようになった作品がある。
「2001年にニューヨークに住んでいるときに、
アメリカ同時多発テロ事件がありました。
その翌年、偶然アイスランドに行き、
水の写真を撮って癒やされている自分がいました。
もう夢中になって撮っていましたね。
きれいな水を見ているだけですごく元気になる。
水の強さ、素晴らしさを感じました」
その後、6年間通うことになるアイスランドで撮っていた風景と、
京都との共通点を感じたという。
「京都の御所とか、神社など、子供の頃の記憶とつながりました。
京都は水がきれいだったんだなと。
仕事で世界各国に行きましたが、
鴨川のようにきれいな川がまちの真ん中を流れている場所はあまりなくて。
そのときに、京都の美しさは当たり前ではないんだということに気がついたんです」
同時に、そばにとっても水は重要。
「京都の水とともに500年以上ある家」であることを強く認識した。
「自分はものづくりをしているほうが楽しいし好きです。
でも水を通して、ここを守っていきたいという気持ちになりました」
こうして、2011年に京都に戻り、本家尾張屋を継ぐことを決意する。
昨年行われた国際写真展『KYOTOGRAPHIE』にて展示されたアイスランドの写真。
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伝統のあるお店を継ぐために必要な変化
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「京都の老舗の人って、結構新しいものが好き」という稲岡さん。
これは一般的にもよく聞く話。
洋風の自宅に住んでいたことからも分かる通り、
稲岡家も新しい文化や海外の文化に強い関心があったのだろう。
「おじいちゃんも父も、私が家業に入りいろいろと学ぶなか、
"大切な軸を理解すれば自由にしていけばいい"という感じでしたし、
京都というまち自体が、外から受け入れる何かがあるんじゃないかと思いますね。
変化し続けてきたからこそ、
長く京都らしさを持って生き続けているのだと思います」
まさに、よくいわれる「変化できるものが生き残る」という理論。
稲岡さんがオープンした、そば店に隣接する「菓子処」。土壁にはそばがらが練り込まれている。
〈COSMIC WONDER〉による制服。
「一方で、つながりも強いんですよね。
それがイヤで京都を飛び出したのですが、
家業を継いでみて、そのつながりが京都を守ってきていることも理解しました。
昔からそば屋さん仲間で集まって、食事したり、情報交換などしていたみたいで、
今でも年に一度はご飯会をしますし、そば屋の集まりだけではなく、
和菓子屋の集まり、飲食に関わる会や老舗の会などもあります。
私も祖父や父の話を聞くのが好きです。
助け合う意識というのか、自分だけが良ければいいという考え方ではない。
これが本当のサステナビリティなんだなと思います。
これも京都を好きになって、帰ってこようと思わせてくれた理由のひとつです」
ひとつひとつの設えが趣のある本家尾張屋の店内。
先代、先々代と拡大路線をとってきた本家尾張屋。
稲岡さんが2014年に代表に就任してからは、少しずつ自分の色を出し始める。
「きちんとお店を守っていくには、私は自分が見える範囲でやりたいと思ったんです。
以前は、良くも悪くも時代的にもトップダウンでした。
先代の父は若い頃から働いていたから、それでも良かったのかもしれない。
でも私は20年も京都を離れていたから、
フラットな関係性を築くためにも、みんなの意見を聞きたいと思いました」
そのために、オープンな雰囲気をつくったり、会議を多めにした。
本人よりも長く働いている人が多い環境で、
お互いに教えて合い、助け合う体制へと変化させていった。
稲岡さんはこれまで会社組織に属したことはないが、
写真家として取材を通して学んできた考え方が本家尾張屋の運営にも生かされている。
「アイスランドに惹かれたのは、自然環境もあるけど、社会が平等なことなんです。
40代の女性が首相をやっていたり、
有名なミュージシャンでも同じような生活を送っていたり。
そのフラットな感じは、日本にもニューヨークにもない。
自分の会社や組織、仕事のやり方にも、
そのように、ひとりひとりが幸せに生きる社会というものを求めています。
そのためには、コミュニケーションをしっかりとって、
ひとりひとりがきちんと責任を持つ会社にしていかないといけないと思っています」
ビジネス的ではなく、写真家としての人生から学んだことを組織に生かす。
それが今の時代に即した取り組みになっている。
江戸時代に考案されたという「そば餅」(3個入486円から)。
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そばを海外へ発信する
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ユネスコ無形文化遺産に認定された"和食"が、世界的に注目されている。
そば文化もそのひとつで、稲岡さんもそれを世界へと認知させていこうと動いている。
「コロナ禍で飲食業としては約3年間、時間が止まってしまい、かなり大変でした。
ただあらためて家業のこと、京都のこと、日本のことを見つめ直す時間になりました。
そこで考えたのは、そばの文化を世界へ発信することです」
稲岡さんは店内あちこちのお花の手入れをしていた。
今は世界からお客さんが食べに来てくれる。
実際、本家尾張屋に並んでいる多くは外国人観光客だ。
そんななかで稲岡さんは、受け身ではなく積極的にそばを発信していきたいという。
「私がアメリカに住んでいた20年前に比べて、そば屋さんは増えています。
そばはすごく繊細で、ひとつひとつの工程をしっかりやっていかないと、
味に影響してしまいます。
あと水の質もとても大切です。
海外でどのようにおいしいそばをつくれるのか、また食べてもらえるか」
「創業寛正六年 御用蕎麦司(宮内庁御用達)」と書かれてあるのれん。
日本のそばを世界に広げる。
そのために稲岡さんが考えていることのひとつが、
「日本らしいそば」という概念から外すこと。
例えばアメリカで最初にカリフォルニアロールが生まれたから
現在の「日本の寿司」の認知度につながっているように、
発想を大きく転換したりするのもいいのかもしれない。
「いきなりちゃんとしたそばを伝えても、
ごく一部の人にしか広まらないと思います。
そうではないキャッチーな仕掛けも必要。
私はグルテンフリーのスーパーフードとして広めたいと思っています」
もちろんハードルは低くない。
ただ寿司もラーメンも、さまざまな問題をクリアして海外で人気になった。
そばがそうなる日もきっとくるだろう。
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写真家的な視点で、ものごとの本質を見る
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稲岡さんが行ったことのもうひとつに、ウェブサイトのリニューアルがある。
写真の多くは稲岡さん自身が撮り下ろし、
レシピや食べ方、そして取材記事も加わっている。
例えば、料理人のどいちなつさん、船越雅代さん、
〈BEARD〉の原川慎一郎さんによる「まかない蕎麦レシピ」。
また、京都でつながりのある〈WEEKENDERS COFFEE〉、〈一保堂茶舗〉、
〈とり安〉、〈河村製粉〉のインタビュー。
さらに出汁問屋の〈福島鰹〉と一緒に、
昆布の産地である北海道の利尻まで取材にも行っている。
「これまで写真家として、メッセンジャーのような気持ちだった」という稲岡さん。
取材や撮影を通して、感じたものや気付きを伝えること。
今は尾張屋を通しても同じことができるのはないかと考えている。
「ホームページはバイリンガルにしました。
海外からのアクセスや取材も増えてきました。
尾張屋だけでなく、これからは日本のそば文化そのものにリーチしていきたい」という。
そのために京都や、水、そばのストーリーをホームページにアップしている。
歩いて好きな場所であるという近所の御所に。
ただ"見た目"を整えるのだけではなく、自分の目で見て感じたことを発信していく。
そこに光るものや気づきを見つけるのが写真家独自の視点だ。
「みんなが当たり前だと思っていることのなかに、
結構すごい価値や魅力があるのではないと思っています」
その視点をこれからは本家尾張屋でも発揮していく。
日本人にとっての当たり前である「そば」に、
これからどんなものが見つけられるだろうか。
そば屋と菓子処を結ぶ小さな中庭が美しい。
Creator Profile
ARIKO INAOKA
稲岡亜里子
いなおか・ありこ●1975年京都生まれ。高校2年でサンディエゴの高校に留学し、写真に出逢う。〈New York Parsons School of design 美術大学〉の写真科卒業後、ファッション写真から旅雑誌『TRANSIT』などで仕事をし、35か国以上を旅したのち、家業を継ぐために京都に戻る。蕎麦屋と写真家の二足のわらじ活動を続け、2020年、2冊目となる写真集『Eagle and Raven』を赤々舎から出版している。
Web:Ariko Inaoka
Instagram:@arikoinaoka
*価格はすべて税込です。
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