ご当地アイドルから世界四大ミスコンテスト「ミス・アース」への道のり……人気グラビアアイドルの壮絶な過去 グラビアアイドル・斎藤恭代インタビュー
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ご当地アイドルから世界四大ミスコンテスト「ミス・アース」への道のり……人気グラビアアイドルの壮絶な過去
グラビアアイドル・斎藤恭代インタビュー(1)
いつものクールビューティな姿とは違う「隣のお姉さん」のような斎藤恭代が堪能できるデジタル写真集『しっとり汗ばんで』が好評発売中だ。
それを記念して、ここでは彼女の順風満帆と思われがちだが、実はいばらな道を歩んできた彼女に自身の半生を語り尽くしてもらう! あまりにも壮絶だったので、3回に分けたゾ!
斎藤恭代『しっとり汗ばんで』
デジタル写真集の一部を特別公開中
(1)ご当地アイドルから世界四大ミスコンテスト「ミス・アース」への道のり……人気グラビアアイドルの壮絶な過去
(2)絶望に打ちひしがれる中で見出した水着撮影会!? フリーアイドルがグラビア業界を席巻するまで
(3)「人生で起こることにはすべて意味があり、欠点も大切だと思います」――グラドル・斎藤恭代のたどり着いた境地
「いちご姫コンテスト」がすべての始まり
――実は『週刊現代』への出演は初めての斎藤さんです。弊誌が遅かっただけで、グラビア活動を始めて、もうどのくらい経ちましたか
斎藤恭代(以下、斎藤) 1年半が経ちました。今年はもっと表紙を飾れるようにがんばりたいなと思っています。
――もう、十分飾っているような気がしますけどね。そもそも、芸能界に入ったきっかけは?
斎藤 福岡県の『月刊くるめ(現・gekkle)』という雑誌が開催している「いちご姫コンテスト」に選んでいただいたことです。福岡県筑後エリアの各校を代表するかわいい女子高生を集めて、年に1回グランプリを決めるコンテストなのですが、50年以上続いており日本を代表する女優さんなどを排出した歴史もあります。わたしは友だちの推薦で福岡県杉森高校のいちご姫として、2015年に掲載されました。
ご当地アイドルから世界四大ミスコンテスト「ミス・アース」への道のり……人気グラビアアイドルの壮絶な過去
グラビアアイドル・斎藤恭代インタビュー(1)
器械体操の大会で膝の靭帯を切断……
――ちなみに、久留米といちごはなにか関係ありましたっけ?
斎藤 ないです(笑)。いちごは15歳という意味ですね。でも、15歳の子はいちご姫になれないんです。高校1年生から3年生までいちご姫になれる権利はありますが、やっぱり3年生のほうが仕上がっているので、圧倒的に強くって……。わたしがいちご姫コンテストで審査員特別賞をいただいたのも、高校3年生のときでした。
――なるほど。仕上がっていたんですね。
斎藤 でも、わたしは栃木県の日光市出身だったので「いちご姫」という文化を知りませんでした。いちご姫は他薦じゃないとなれないというのが歴代のルールにあって、友だちの推薦をもとに編集部の方が高校まで写真を撮りに来てくださって、その写真が「月刊くるめ」の表紙として世の中にバンと出たわけです。わたしが人の目に触れる活動をしたのは、それが初めてでした。
――しかも、斎藤さん自身は、福岡県出身ではないんですね。
斎藤 はい。部活の特待生として声をかけていただいて、栃木県日光市から福岡県杉森高校に進学しました。器械体操に力を入れている高校で、高校では3年間器械体操の選手をしていたのですが、高校3年生のときに怪我をしてしまいました。
――練習中の怪我ですか?
斎藤 いや、大会の本番中です。団体戦の最後の種目で、わたしが最終種目「床」の演技で無事終えれば、次の大会へ進めるかもしれないと言う状況で、最後の最後に膝の靭帯を切ってしまいました。その結果、団体戦で次の大きな大会には行けなくなり、そのまま全員引退という、絶望的な終わり方だったんです……。自分が痛いだけならまだ心への傷は浅かったのですが、メンバー全員の未来を摘んでしまったことが本当に辛かったし、怪我の痛みやたったひとりで臨む人生で初めての手術への不安も大きかったです。ずっと体操だけやってきたわたしにとって、それは人生で一番の挫折でした。そんな絶望的な気持ちになっていたときに、いちご姫に選んでいただけて「いつまでも、くよくよしていてはいけない」と前を向くことができました。
――いちご姫ってローカルなお祭りイベントくらいに思っていたのですが、もっとハイレベルなコンテストだったんですね……。すみません。
斎藤 そうなんですよ! 東京からも大手事務所さんが見に来るぐらい注目されていた、芸能界の登竜門的なコンテストだったと思います。
――高校3年生でいちご姫に選ばれて、そこから大学へ?
斎藤 体育の教員の免許を取得できる大学に入学したいと思っていたのですが、怪我をきっかけにその道を辞めて、パティシエの専門学校に進みました。
――これまた急展開ですね。
斎藤 体操の特待生として入学しましたが、選択した学科が調理科だったので、卒業と同時に調理師免許を取得する事が出来ました。実家が栃木なので親に「早く帰っておいで」とよく言われていました。だから、福岡に残る理由として、製菓専門学校に行って、2年間和菓子と洋菓子と製パンの勉強をしていました。それと同時に、わたしの代からいちご姫がアイドルグループとしても活動をすることになり、その活動が楽しくて、リーダーとして一生懸命がんばっていました。「いちご姫で有名になるぞ」という気持ちは強かったんですけど、先輩や同期が卒業していって自分が最年長になったとき、新しく入ってきてくれた若くて小柄なメンバーたちと横並びになった自分に、違和感を覚えてしまいました。そこで社長さんに「ステップアップしたい」と相談したときに教えてくれたのが、ミス・アースの存在でした。「ミス・アースで日本代表になったらグループを卒業させてください」と社長さんに宣言して、ミス・アースに挑戦することを決意しました。
ご当地アイドルから世界四大ミスコンテスト「ミス・アース」への道のり……人気グラビアアイドルの壮絶な過去
グラビアアイドル・斎藤恭代インタビュー(1)
世界的ミスコンテストで受けた衝撃
――ミス・アースはどんな選考があるんですか?
斎藤 書類選考を通過して地方大会に進むのですが、そこで歩き方やスピーチ、地球環境保全の勉強、ボランティア活動などを1カ月間みっちりやります。それを「ビューティートレーニング」といって、その期間を経て各地方大会から優勝者がひとり選出されます。選出された全国の地方代表が東京に集められて、また1カ月間のビューティートレーニングを行います。全国大会の優勝者がミス・アース日本代表になって、フィリピンで行われる世界大会に参加するんです。
――世界大会の会場はアメリカとかではないんですね。
斎藤 フィリピンはミス・アースの主催国です。環境保全が充実していない発展途上の国ということで、この大会が作られました。世界大会にたくさんの国の代表が集まって、1カ月間ほぼ毎日審査が行われました。
――確かにフィリピンは「ミスコン超大国」と称されることもありますね。
斎藤 本当に驚きました。フィリピンのとある空港に着いたら、看板や広告に2017年のミス・アースフィリピンの代表がたくさん飾られていていました。そのくらい国を挙げて応援しているんだなって。
――東南アジアもですが、中南米もすごい盛り上がりですよね。
斎藤 ベネズエラ、コロンビア……すごかったです(笑)。そういったミスコン大国では国をあげて応援をしているようで、とても熱い盛り上がりでした。
――世界大会では、英語でスピーチもするんですよね?
斎藤 はい。英語に関してはビューティートレーニングでは触れなかったので、日本代表に選ばれた瞬間に英会話教室に行きました。ただ、世界大会まで1カ月しかなかったので、まずはスピーチをしっかり頭に叩き込んで、日常会話はGoogle翻訳でなんとかやり過ごしました。本当に貴重な経験をさせていただきました。
――その時点で高校卒業からまだ2〜3年。波乱万丈ですね。
斎藤 そうですね(笑)。そこが人生の分岐点になりました。やはり、世界を経験するのは、誰もができることではないし、刺激的な時間だったと思います。
――そして、日本に戻ってモデル事務所に所属することに?
斎藤 1年間はミス・アースが運営する芸能プロダクションに所属し、翌年のミス・アース・ジャパンに向けた地方大会の審査をしていました。2018年の優勝者を見届けて、ティアラと冊子を贈呈してからようやくミス・アース任期満了となりました。
――その期間はギャラも発生していたんですか?
斎藤 具体的なギャラというものはありませんが、世界大会での衣装や、世界大会までの体作りのトレーニングのサポート、美容に関するサポートなどをしていただきました。また、その間にヨガのインストラクターとして、老人ホームでの「シニヤヨガ」、企業の朝礼に出向いて「オフィスヨガ」に指導していました。
――ということは一時期、ミス・アース日本代表が教えてくれるヨガ教室があったわけですね。
斎藤 大々的には言っていませんでしたけどね(笑)。でも、教えるのは楽しかったです。その仕事も、コロナ禍を機にできなくなってしまいましたが。
――なるほど。現在の道につながるきっかけには、それもあったんですね。
斎藤 そうなんですよ。すみません、わたしの人生長くって(笑)。
(文/森野広明)
(スタイリスト/田中陽子)
(ヘア&メイク/新井祐美子)
1996年4月22日生まれ、栃木県出身。T173B85W64H91。2017年、世界四大ミスコンテスト「ミス・アース」の日本代表に選ばれる。22年からグラビア活動を始め、圧巻のスタイルで人気を博し、翌年にはファースト写真集『EarthFUL』(ワニブックス)を発売。現在、バラエティ番組やラジオなどで活動の場を広げている。
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